お城めぐりに興味を持っている方に向けて、今回は埼玉県にあるおすすめの城跡をご紹介します。
この記事で取り上げる5つのお城は、「日本100名城」や「続日本100名城」に選ばれている埼玉県が誇る名所です。当時の高い築城技術を堪能しに行きましょう。
※掲載内容は執筆当時のものです。最新情報は事前にご確認ください。
日本100名城と続日本100名城とは?
「日本100名城」と「続日本100名城」は、「公益財団法人日本城郭協会」が全国のお城から選定したお城の一覧です。
日本城郭協会の会員の方やお城めぐりを楽しむファンの方による推薦が行われ、2006年に「日本100名城」、2017年に「続日本100名城」が選定されました。
日本100名城は世界遺産にも選ばれるような有名なお城、一方で続日本100名城は知る人ぞ知るマイナーなお城が含まれています。
100名城として選定される基準としては、「優れた文化財・史跡であること」「著名な歴史の舞台であること」「時代・地域の代表であること」の3点です。
ここ埼玉県では、日本100名城としては2つ、続日本100名城としては3つのお城が選ばれています。
それぞれのお城にはスタンプラリーが設置されています。100名城の公式ガイドブックにはスタンプ帳がついており、多くの方がガイドブックを片手にお城めぐりを楽しんでいます。
100名城として選ばれているお城は全国47都道府県すべてにあるので、まずはお近くの城からぜひ始めてみてくださいね。
埼玉の城跡【日本100名城編】
まずは、「日本100名城」として選ばれている埼玉県の城跡を2つご紹介します。
鉢形城(はちがたじょう)寄居町
はじめにご紹介するのは、大里郡の寄居町にある「鉢形城」です。
関東管領の山内上杉氏の家臣である長尾景春により1476年に築城されました。1932年には、戦国時代の城郭跡として国指定史跡にも選ばれています。
鉢形城は、断崖絶壁の上に築かれていたことが特徴。上州(現在の群馬県)や信州などを望むことのできる重要な場所として認識されていました。
北関東支配の拠点としても知られており、甲斐(山梨県)や信濃からの侵攻に備えるなど大きな役割を果たしていました。
園内には1/250スケールの鉢形城の復元模型があり、お城全体を一望することができます。堀や土塁も残っているので見ごたえは抜群! 園内にある鉢形城歴史館では、鉢形城や寄居町の歴史を学ぶことができます。
公園内はとても広々としており、ピクニックやウォーキングをするのもおすすめです。
また、四季折々の植物が見られることでも評判です。春になると寄居町の花としても知られるカタクリの花や寄居町指定天然記念物であるエドヒガン、ソメイヨシノなどの鑑賞も楽しむことができます。
城跡だけでない魅力に溢れた公園内をたっぷりと散策してみてくださいね。
川越城(川越市)
古い町並みが楽しめる、小江戸川越。続いてご紹介するのはここ川越市にある「川越城」です。
扇谷上杉家の当主であった上杉持朝に命じられ、1457年に家臣の太田道真とその息子道灌が築城しました。太田氏は築城の名人としてもよく知られていました。
この川越城は、群馬県の前橋城や栃木県の宇都宮城などと並ぶ「関東七名城」のひとつとしても有名です。川越城は、江戸の北の守りとして江戸時代には様々な幕府の重臣が城主となっていました。
また、徳川家光が鷹狩りを行うときの休憩所として川越城の本丸御殿を利用していたと考えられています。
その後本丸御殿は取り壊されてしまいましたが、江戸時代後期の大名松平斉典が1848年に再建。現在も玄関や大広間、家老詰所などが残されています。家老詰所では、畳の上で家老が話し合う様子が実物大の人形で再現されています。
本丸御殿の大広間が今もなお残っているのは、日本全国ではここ川越城と高知県の高知城の2つだけとのこと。
本丸御殿の近くには、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地ともされている「三芳野神社」もあるのでぜひ一緒に訪れてみてくださいね。
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埼玉の城跡【続日本100名城編】
続いては、「続日本100名城」として選ばれている埼玉の城跡を3つご紹介します。
忍城(おしじょう)行田市
まずご紹介する続日本100名城の埼玉県の城跡は、行田市の「忍城」です。山内上杉家の家臣であった成田親泰によって15世紀後半に築城されました。
こちらも川越城と同じく関東七名城のひとつ。2012年に公開された映画「のぼうの城」の舞台として取り上げられたことでも有名になりました。
忍城の特徴として挙げられるのは、難攻不落、要害堅固な名城であることです。
1590年、豊臣秀吉は関東平定で小田原へ出陣。豊臣軍である石田三成が、利根川と荒川の流れを入れ忍城に水攻めをしましたが失敗。忍城は沈まなかったとされています。
人々は、城が浮いているのでは?と考え、忍城は「浮き城」として人々を驚かせました。廃藩置県によって忍城は1873年に取り壊され、現在は土塁の一部が残されています。
お城は1988年に「御三階櫓」として再建。御三階櫓の中に入りたい場合には、「行田市郷土博物館」への入館が必要となります。
御三階櫓の2〜4階のエリアには展示や資料、展望台もあり、行田市や忍城の歴史を学ぶことができます。
杉山城(嵐山町)
次にご紹介するのは比企郡嵐山町にある「杉山城」です。杉山城は、1520年頃に起こった「杉山の陣」の頃に作られた城であると言われています。
これまでは正確な城主はわかっていませんでしたが、近年の発掘調査により、山内上杉氏によって築城された城だと考えられています。
いまだ解明されていないことも多く、そのミステリアスさも人気の理由です。
嵐山町の地域全体で大切にされているお城で、近くの中学校の生徒たちや保存会の方々がボランティアで保存活動をしています。
杉山城は、敵からの攻撃を防御するためにとても複雑な作りが施されていたことで有名です。城の出入口や郭、塁線などに高度な技術が用いられており、強い防御力と攻撃力を持っていました。
そのため、「築城の教科書」や「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」とも評価されています。土塁や切岸などの遺構の保存状態が良く、たっぷり散策を楽しむことができます。
続100名城のスタンプラリーが設置されているのは杉山城から2kmほど離れた嵐山町役場なので注意してください。
菅谷館(嵐山町)
最後にご紹介するのは、「菅谷館」です。1つ前にご紹介した「杉山城」と同じく比企城館跡群のひとつです。
この比企地域には69もの城館跡があり、そのうち今回ご紹介した杉山城と菅谷館跡の2つと、松山城跡、小倉城跡が国指定史跡に指定されています。
菅谷館は鎌倉時代初期の1205年に建てられたと言われており、鎌倉時代の名将であった畠山重忠が住んでいました。
現在は、山内上杉氏によって再興された遺構を見ることができます。菅谷館跡内には「埼玉県立嵐山史跡の博物館」もあり、菅谷館跡はもちろん比企地域の中世城館跡に関する展示や催し物が開催されています。
また7月頃にはヤマユリが見られ、他にも桜や梅などの美しい植物も楽しむことができます。
杉山城と菅谷館跡の距離は車で10分ほど。比企城館跡群を一度にまとめて訪れる方も多いので、時間に余裕のある方はぜひ一緒に巡ってみてくださいね。
高度な築城技術を誇る埼玉の城跡を巡ろう
以上、埼玉県の城跡をご紹介しました。埼玉県には日本100名城にも選ばれている高度な技術と長い歴史を持った素晴らしい城跡があります。
お城それぞれに特徴があり、当時の人々の知恵と努力が伝わってきます。当時にタイムスリップした気分で埼玉のお城めぐりを楽しんでみてくださいね。
埼玉県在住、20代女性ライターです。大好きな埼玉県を様々な角度からたっぷりお伝えできればと思っています!埼玉の知られざる魅力を発見していただけたら嬉しいです。