埼玉県のなかでも魅力的な観光スポットが集まる川越市。
県内で初めて市制を施行しており、2022年はなんと市制施行100周年のアニバーサリーイヤーなんです!そこで今回は川越市の魅力を改めて紹介します。
なぜ「小江戸」と呼ばれるようになったのか?名物のサツマイモの裏側に隠された歴史とは?
この機会に川越市の魅力を再確認してみましょう!
※掲載内容は執筆当時のものです。最新情報は事前にご確認ください。
川越市の特徴と歴史
川越市は埼玉県南部にある、人口約35万人超の市です。
武蔵野台地の東北端に位置しており、大地を取り囲むように荒川や入間川などの川が流れています。
市の中心地にはJR川越線の「川越駅」、東武東上線の「川越駅」「川越市駅」、西武新宿線の「本川越駅」があり、都心からのアクセスも抜群。毎年多くの観光客が訪れています。
古代~奈良時代
川越は古くから人類が住んでおり、旧石器・縄文・弥生時代の遺跡が武蔵野台地上を中心にあちらこちらに点在しています。
古墳時代には大型古墳が作られており、今も喜多院の「慈眼堂古墳」などの史跡が残されています。
律令制が敷かれた後は「入間郡衙」として政治の中心地になりました。
奈良時代には「東山道武蔵路」が建設され、以来交通の要衝として栄えていくことになります。
平安時代~室町時代
平安時代以降は桓武平氏の流れをくむ河越氏が豪族として権勢をふるい、鎌倉時代には一族の姫である郷御前が源義経の正室になっています。
室町時代には太田道真とその息子で築城名人の太田道灌が河越城(川越城)を築城。
その後、川越は小田原北条氏の支配の下、城下町として発展を遂げていきます。
江戸時代~
江戸幕府が開かれると、川越には家康の重臣・酒井重忠が1万石で配され、川越藩が成立。
江戸の北方の守りとしての役割を果たすため、徳川家の親戚や譜代大名など、幕府の重臣たちが町を治めました。
また、このころから新河岸川の舟運を利用した江戸からのヒトやモノの輸送により、江戸とのつながりが強まります。
これにより江戸文化を取り入れ経済・文化的な発展を遂げました。
今でも蔵造りの町並みや寺社仏閣、新河岸川を期間限定で運航する舟などが江戸の風情を残しています。
川越市は2022年に市制施行「100周年」を迎える
そんな歴史深い川越市ですが、2022年、市制施行100周年のアニバーサリーイヤーを迎えます。川越藩から川越市になるには長い道のりがありました。
廃藩置県後、1871年(明治4年)に川越藩から川越県になった後、入間県や熊谷県などと名前を変え、1876年(明治9年)に埼玉県に編入された後、1889年(明治22年)に川越町として成立。
江戸時代から続く新河岸川舟運に加え、川越鉄道(現在の西武新宿線)などの開通により流通網が拡大し、さらなる発展を遂げていきます。
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流通網の拡大で東京との結びつきが強くなり、大正デモクラシーの影響による地方自治への機運の高まりなどを得て、「川越市」が誕生したのが1922年(大正11年)12月1日。
埼玉県としては初めての市制施行でした。
当時は人口3万1000人の市でしたが、周辺の村を徐々に合併し、1955年(昭和30年)には現在の市域になり、人口も増加。高度経済成長期を背景に、都心からのアクセスの良さから東京のベッドタウンとしても発展していきました。
市ではさまざまなイベントが開始される予定で、1月22日には池上彰さんによる川越市100周年講演会が開催されます。
さらに専用のロゴマークや川越市のマスコットキャラクター「ときも」の100周年バージョンも登場。今年1年は盛り上がりそうですね。
川越市の魅力
川越市の魅力といえば「小江戸」を思わせる観光スポットの数々に、川越名物のサツマイモをつかった銘菓。そんな川越市の魅力を改めてみていきましょう。
埼玉県内でも代表的な観光スポットが沢山
川越市には埼玉県を代表するさまざまな観光スポットがあり、毎年国内外から多くの観光客が訪れています。
2019年はなんと年間775万人が訪問し、このうち31万人が外国人でした!
なかでも江戸時代の風情が残る蔵造りの町並みに川越のシンボルである鐘楼「時の鐘」、昔ながらの駄菓子屋などが並ぶ菓子屋横丁は観光客に人気を博しています。
大正ロマンあふれる建物が特徴的な「大正浪漫夢通り商店街」も散策におすすめです。
また、縁結び祈願で有名な川越の総鎮守・「川越氷川神社」や、正月のだるま市や江戸城内の建物が移築されていることで知られる「川越大師喜多院」など、歴史的な寺院もありますよ。
着物客への特典あり「川越きものの日」
せっかく歴史的な町を散策するのであれば、着物や浴衣に着替えてタイムスリップした気分を味わいたいもの。記念撮影もインスタ映えしますよね。
川越市では「きものが似合うまち川越」を合言葉に、毎月8日・18日・28日を「川越きものの日」に認定しています。
着物や浴衣(※甚平・作務衣は対象外)で川越を散策する人を対象にさまざまな優待が受けられるというもので、メニューや体験プランの割引、税別1000円以上の購入で和小物やお菓子のプレゼントなど、約100店舗が対象。川越にはレンタルきもの屋さんもあるので便利ですよ。
ちなみに8日には「蓮馨寺(れんけいじ)」で縁日マーケットが、28日には「成田山川越別院本行院」で骨董市が開催されています。
また、18日にはこの日限定の優待サービスを用意しているお店もありますよ。
8のつく日は和装で川越を楽しみましょう!
埼玉三大銘菓の「イモ菓子」
川越と言えばサツマイモを使ったイモ菓子で有名ですよね。
「川越の芋菓子」として埼玉県三大銘菓とされていますが、そもそもなぜ川越=サツマイモなのでしょうか?
実は、その始まりは江戸時代にさかのぼります。
寛政年間(1700年代末)ころ、安さと当時としては数少ない甘みのある食べ物だったことから、江戸で焼き芋が大ヒットしました。
もともと飢饉に強いことから栽培が推奨されていたサツマイモですが、このヒットを受けて江戸近郊でサツマイモの栽培がブームに。
川越地方では所沢市の南永井で吉田弥右衛門が栽培を始めたのが最初とされており、高品質な「川越イモ」ブランドとして江戸の人々に親しまれました。
川越は江戸から13里離れていたことから「九里四里(くりより)うまい十三里」と呼ばれたそうです。
そもそもサツマイモは重いため陸路での輸送は大変ですよね。
ところが川越は新河岸川での水運が盛んでしたから、芋が大量に運びやすかったことからも、川越=サツマイモのイメージにつながったようです。
その後「紅赤」「紅東」をはじめとした固有品種が登場。
現在は川越での生産量は減少し、川越市では南部で栽培されている程度ですが、できたサツマイモはサツマイモチップスやようかん、おまんじゅう、ソフトクリームなどのスイーツからビールまで幅広く活用されていて、川越の名物になっています。
川越市の偉人達
川越市には実は知られざる偉人が多くいるんです。そんな川越の偉人から2名を紹介していきます。
川越の名産品にもなった”サツマイモ”の功労者「赤沢仁兵衛」
川越地方でサツマイモの生産を始めたのは吉田弥右衛門ですが、サツマイモの増産に寄与したのが今福村(現川越市今福)の豪農・赤沢仁兵衛です。
赤沢は種イモの選び方や肥料のやり方など、サツマイモの栽培方法の研究を1866年(慶応2年)から始めました。
そして「たくさんイモができる良い稲を選ぶ」「うねを高くする」「たい肥をたくさん入れる」などの方法により、サツマイモの生産量を高めることに成功したのです!
1871年(明治4年)の調査によれば、赤沢仁兵衛の畑は他の畑の1.5倍から2倍の収穫量があったのだとか。
そして赤沢の素晴らしいところは、この成功した栽培方法を秘密にするのではなく「赤沢式」として広く広めたこと。
1910年(明治43年)には73歳にもかかわらず「赤沢仁兵衛・実験甘藷栽培方法」という書物を残しています。
日本初の製茶機を開発「高林謙三」
もう一人紹介するのが、1832年(天保3年)に高麗郡平澤村(現埼玉県日高市)に生まれた医師で発明家の高林謙三です。
貧しい農家に生まれましたが、16歳で医学を志し、西洋外科医術を学んだ後、25歳の時に川越の小仙波村で西洋医として医院を開業しました。
医者として財を成した高林謙三は、当時産業革命で日本が生糸と緑茶の生産に力を注いでいたことをうけ、国益に寄与しようと茶園の経営に乗り出します。
そして手作業では限界があった緑茶の生産量を高めるため、私財を投じて製茶機械の発明に乗り出します。
高林謙三は1884年(明治17年)にほうじ茶を創る器械を完成させた後、茶葉の蒸し器械、製茶摩擦器械を完成させ、翌年特許を取得。発明に失敗して苦境に陥ったこともありましたが、1897年(明治30年)、ついに茶葉粗揉機を完成させました。
そして明治34年に享年70歳で亡くなるまで製茶機械に関わり続けました。
ちなみに茶葉粗揉機は「高林式」の名を冠され、多少大型化されるなど変更はあったものの、今でも製茶工場で使われています。
川越市の小話・豆知識
ここからは、知っておくと川越市がさらに楽しめる小話や豆知識をお届けします。
なぜ小江戸?
川越は「小江戸」と呼ばれていますが、実は小江戸は千葉県香取市の佐原や栃木県栃木市なども「小江戸」と呼ばれているのをご存じでしょうか。
そもそも「小江戸」というのは「江戸のように栄えた町」「江戸の文化が今も伝わる町」に冠された名称。
蔵や武家屋敷など江戸の面影を残す場所として知られています。
なかでも川越は「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われたほど、古くから「小江戸」として親しまれてきました。
「元祖小江戸=川越」という感じでしょうか。
特に蔵造りの街並みや川越城の本丸御殿周辺は今も江戸を感じさせます。
川越市は幸福度「全国1位」
川越市のあまり知られていない特徴の1つとして、住民の幸福度の高さがあげられます。
株式会社ブランド総合研究所による、全国の政令指定都市や中核市、県庁所在市83市を対象にした「市版SDGs調査2020」によれば、「幸福度」「(生活の)満足度」「愛着度」「定住意欲度」の4指標の平均点からなる「SDGs指数」は全国1位でした。
なかでも川越市は幸福度が高く、全国1位!満足度も4位と高評価でした。
いかに川越市民が川越を愛し、幸せに暮らしているかが分かりますね。
狭山茶のルーツは実は「河越茶」
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最後の小話は「河越茶」について。
実は川越は南北朝時代、天下の茶所として知られる有名な茶産地の1つでした。
ところが戦国時代になるとお茶を栽培していた寺院「星野山無量寿寺」(中院・喜多院が現存)や武士の衰退とともに河越茶も姿を消してしまいます。
この河越茶はときがわ町で生産されていた「慈光茶」とともに、日本三大茶の一つ・狭山茶の起源とされており、中院には「狭山茶発祥之地」の石碑が建てられていますよ。
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その後、しばらく途絶えていた河越茶ですが、有志により川越市や狭山市などの旧河越領内の茶園で栽培された茶葉を使用して復活。
まろやかな甘みとコクのある深い味わいが特徴で、煎茶やほうじ茶、抹茶などが販売されています。
お茶はあまり飲まない、という人でも茶そばやバームクーヘン、プリンなどのスイーツもあるので、気軽に楽しめますよ。
市制施行100周年の川越に行こう!
今年で市制施行100周年を迎える川越。古くからの歴史と伝統が色づく「小江戸」にはさつまいもやお茶などを使った魅力的な食べ物や飲み物がたくさん!
ぜひこの機会に行ってみてはいかがでしょうか。
旅行メディアから出産を機に独立した、埼玉県在住のフリーライターです。得意分野は旅行と歴史と食事。最近、公園やテーマパークを中心とした県内の幼児連れのお出かけ先には詳しくなりました。埼玉県の魅力を皆様に伝えられるよう、頑張ります!