お正月にお馴染みの七福神巡り。七福神を祀る寺社を巡って開運や無病息災などを祈る行事で、皆で街歩きをしながら参拝する楽しみがあります。
今回は与野で歩いて気軽に回れる七福神巡りをご紹介。華やかなパレードもあり、素敵な新年を迎えるのにぴったりですよ♪
※掲載内容は執筆当時のものです。最新情報は事前にご確認ください。
与野七福神巡りとパレードで新年を楽しく迎えよう
新年におすすめなのが、福徳をもたらす神様を拝んで回る「七福神巡り」。
信仰の起こりは室町時代ごろで、七福神を信じると「七難即滅、七福即生極まりなし」、つまり七つの厄災が取り除かれ七つの幸福を得る、と言われています。
七福神は中国の「竹林の七賢」になぞらえて選ばれたと伝わっており、現在は恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七神が信仰されています。
与野では毎年正月の三が日に「与野七福神めぐり」、1月3日に「与野七福神仮装パレード」を開催。
与野七福神は本町通りを中心に約2時間で巡ることができ、ウォーキングにぴったり。専用の色紙を購入し、御朱印をいただきましょう!
それでは、与野七福神をひとつずつ見ていきましょう!ちなみに、どの神様から回ってもOKですよ。
幸福と健康長寿の神◎福禄寿【上町氷川神社】
幸福と高給と長寿をつかさどる「福禄寿」が祀られているのが、イオンモール与野の近くにある「上町氷川神社」です。
創建は不明ですが、江戸時代には与野町とその隣の小村田村の鎮守の神様として信仰されていました。社の前で大宮道(奥州道)と川越道が分かれており、扇のような形の土地から「扇の宮」と称されていたようです。
こちらの御祭神はスサノオノミコト。福禄寿の木像は拝殿の横に祀られています。ちなみに福禄寿は中国の道教が起源の神様で、福(幸福)・禄(身分)・寿(寿命)をかね備えており、人の寿命をつかさどる南極老人星の化身なのだとか。
正月のお参りにぴったりですね。
商売繁盛の神◎恵比寿天【一山神社】
続いてご紹介するのは商売繁盛の「えびす様」としておなじみの「恵比寿天」を祀る「一山神社」です。
創建は江戸時代の嘉永年間(1848-1853)と言われています。祭神は少彦名命(すくなひこな)、誉田別命(ほんだわけ)、一山大神(いっさんおおかみ)で、少彦名命がえびす様にあたります。
ちなみに、恵比寿天は七福神の中で唯一日本が起源の神様。イザナミノミコト・イザナギノミコトの最初の子ども・ヒルコ神だという説もあります。左手に鯛、右手に釣竿を持った姿は商売繁盛の神様として親しまれていますね。
神社は毎年冬至の日に行われる「一山神社冬至祭」が有名。「ゆずまつり」とも呼ばれており、さいたま市の無形民俗文化財に指定されています。
祭りでは、無病息災・家内安全を祈る「火渡り」を実際に行うことが可能です。「火渡り」の参加は裸足のため、足を拭くものを用意しておでかけしましょう。
「冬至祭」では神前にお供えした柚子を参拝者に配布されるので、持ち帰って柚子湯にするのがおすすめです。風邪をひかなくなるそうですよ。ちなみに、冬至から節分までは一陽来復のお守り「結寿(ゆず)守」も配布しています。
長寿延命の神◎寿老人【天祖神社】
長寿延命をつかさどる「寿老人」を祀っているのが「天祖神社」。
与野公園内にある神社で、正面入り口から右手に向かうと見えてくる赤い鳥居が神社の入り口です。創建は不明ですが、江戸時代末期には神社としてあったようです。
主祭神は天照大神。境内には寿老人の像がありますよ。ちなみに寿老人は福禄寿と同じく中国発祥の神様で、星の化身ともされていることから、よく両者を混同する人もいるようです。
与野公園はもともとは天祖神社の境内で、桜とバラの名所としても有名。お花見の際にもぜひ訪れてみてくださいね。
芸能・学問・財運の神◎弁財天【御嶽社】
七福神の紅一点で芸能・学問・財運をつかさどる「弁財天」。もとはインド・ヒンドゥー教の水の女神で、与野七福神では与野公園の北隣にある「御嶽社」に祀られています。弁財天の像もありますよ。
御嶽社は一山神社でも登場した木曾御嶽講に関する神社で、講祖の「一心行者」を支援していた名主の井原平八により明治初年(※諸説あり)に作られました。
御祭神は大山祇命と国常立尊。境内には「木曽御嶽塚」と呼ばれる塚があり、この塚は古墳だという説も。頂部には祠が祀られており、小さいながらもとても雰囲気のある神社です。
五穀豊穣の神◎大黒天【円乗院】
福耳・打ち出の小槌・俵でお馴染みの「大黒天」。もとはインド神話で破壊と再生をつかさどる大神「シヴァ神」だったと言われており、日本では五穀豊穣・商売繁盛、そして蓄財をつかさどる福神として信仰されてきました。
そんな大黒天が祀られているのが「円乗院(安養山西念寺圓乘院)」。
源頼朝に仕えた有力御家人・畠山重忠が、建久年間(1190-1199)に道場村(現桜区道場)に創建したお寺で、慶長年間(1596-1615)に現在の場所に移転しました。
延宝6年(1678年)には京都仁和寺の直末寺(本尊直属の末寺)に指定されており、江戸時代には近隣に23もの末寺を持った由緒ある寺院です。本尊は五大明王で、鎌倉時代の良胤僧都の作と伝わっています。
大黒天以外の見どころとしては、昭和56年(1981年)に建立された高さ30mの多宝塔で、日本で3番目の大きさを誇ります。
市の天然記念物に指定された高さ6mの彼岸桜は「円乗院の千代桜」と呼ばれており、4月初旬の見ごろの時期には多くの人が訪れます。
笑門来福の神♪◎布袋尊【円福寺】
にっこりとした笑顔と太鼓腹、大きな袋が特徴の「ほてい様」こと「布袋尊」は、中国の唐時代の契此(かいし・けいし)という僧がモデルになった七福神。
モデルとなった契此は未来予知ができる不思議な力を持っており、お布施や生活必需品を人々に分け与える心豊かな人物だったそう。転じて、福徳円満の神として信仰を集めることとなりました。
与野七福神では真言宗智山派寺院の「北明山円福寺」に祀られており、2体の布袋像を見ることができます。
円福寺は大永元年(1521年)開山の古刹。近世初頭、徳川家康に仕えた本多正信がさいたま芸術劇場の近くにある現在の場所に移築したと伝わっています。
御本尊は阿弥陀如来で、江戸時代中期のもの。釈迦堂には鎌倉時代末期に作られた、市指定文化財の木造釈迦如来坐像が安置されています。
知恵と勇気の神◎毘沙門天【鈴谷大堂】
最後にご紹介するのは「毘沙門天」。もとはインド・ヒンドゥー教の神様「クベーラ」で、北方を守護する財宝の神でした。
やがて仏教の四天王の一柱として仏法の守護神となり、七福神では金運、福徳、無病息災など多様な利益のある神として信仰を集めています。
与野七福神では知恵や勇気の守り神とされており、地域管理の仏堂「鈴谷大堂」に祀られています。鈴谷大堂はいつ建てられたのかはっきりわかっていませんが、境内にある六地蔵の銘文によれば、寛文7年(1667年)には存在していたようです。
御本尊は阿弥陀如来で江戸時代中期のもの。本堂には毘沙門天像に加え、室町時代の聖観音坐像も安置されています。
なお、本堂は江戸後期に火災で焼失したのち嘉永元年(1849年)に再建され、平成4年(1992年)に改築されています。
正月は与野七福神めぐりを楽しもう!
正月に与野で開催される「与野七福神めぐり」。
のんびり歩いても2時間強で回りきれる手軽さが魅力です。
2024年の正月は与野で七福神めぐりのウォーキングを楽しんでみてはいかがでしょうか?
旅行メディアから出産を機に独立した、埼玉県在住のフリーライターです。得意分野は旅行と歴史と食事。最近、公園やテーマパークを中心とした県内の幼児連れのお出かけ先には詳しくなりました。埼玉県の魅力を皆様に伝えられるよう、頑張ります!