2021年の大河ドラマの主役に選ばれ、2024年には新一万円札の肖像にもなることで再度注目が集まっている渋沢栄一。
約500社の企業の設立に関わり「資本主義の父」と呼ばれた彼の出身地、埼玉県深谷市にある渋沢栄一ゆかりの地には多くの人が訪れています。
今回はそんな深谷にある、渋沢栄一ゆかりのスポットを紹介します!
※掲載内容は執筆当時のものです。今後の状況により変更される場合があるので、最新情報は事前にご確認ください。
渋沢栄一と深谷駅
深谷市の渋沢栄一ゆかりの地巡りのスタート地点となるのが、JR高崎線「深谷駅」です。
駅につくと、赤レンガの駅舎を見て「あれ?」と思う人も多いはず。そう、深谷駅は「ミニ東京駅」と言われるほど、東京駅にとても似ているんです。
現在の深谷駅の駅舎は1996年に改築されたもの。東京駅に深谷市産のレンガが使われていることから、東京駅をモチーフにデザインされたんです!
ちなみに、深谷市にレンガ工場を作ったのが渋沢栄一ですよ。
深谷駅北口にある渋沢栄一のからくり時計
深谷駅北口前の隠れた名物が「渋沢栄一からくり時計」です。「渋沢栄一没後80年の記念事業」として市が2012年2月にお披露目した時計は、なんと全長4mに及びます。
「そんなのあった?」と思う人もいると思いますが、からくり時計はいつもは深谷市のゆるキャラ「ふっかちゃん」がくるくると回転しています。
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ところが7時から23時までの定刻になると、下から渋沢栄一の胸像が登場。その様子は「ちょっとシュール」とネットでも話題になりました。
渋沢栄一の胸像は、栄一が日米友好で相互に人形を贈りあう活動を実施したことにちなみ、青い目の人形と市松人形を抱えています。登場時には童謡「青い眼の人形」が流れます。
深谷にある渋沢栄一の銅像
渋沢栄一の生誕地、深谷には栄一の功績を称えた銅像が各所に設置されています。深谷駅前の「青淵広場」には彫刻家の田中昭氏による和装姿の銅像が。
また、「旧渋沢邸『中の家』」には、1867年のパリ万博の際の姿を現した若き日の渋沢栄一の姿の立像があります。
「渋沢栄一記念館」には渋沢栄一が60歳で男爵になって以降の銅像が飾られています。当初は駅前に設置していましたが、1995年に渋沢栄一記念館開館を機に移設しました。
このほか、「深谷市役所本庁舎ホール」には、彫刻家の渡辺長男氏による胸像が飾られています。いろいろな姿の渋沢栄一を見比べてみるのも面白いですよ。
渋沢栄一生誕の地「血洗島」にある旧渋沢邸「中の家(なかんち)」
深谷駅から車で20分ほどのところにあるのが、渋沢栄一の生家「旧渋沢邸『中の家』」です。
渋沢栄一は1840年に生まれてから23歳までこの家で過ごしたほか、深谷に帰郷した際に生家に寝泊まりしていました。
中の家の主屋は一度火災で焼失しており、現在のものは1895年に妹夫婦が建てたもの。主屋の奥にある10畳の部屋は栄一専用の部屋でした。
現在は80歳くらいの渋沢栄一をイメージして作られたアンドロイドが訪れた人を迎えています。中の家は中庭に入って建物の外観が見学できます。専門の係員が解説してくれますよ。
渋沢栄一ゆかりの神社①【諏訪神社】深谷市血洗島
中の家の周囲には渋沢栄一ゆかりのスポットがたくさんあります。血洗島の「諏訪神社」もその1つ。1916年に渋沢栄一の喜寿を祝い、氏子たちが建てた「渋沢青淵翁喜寿碑」が今も残ります。
石碑の題額は江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の息子の慶久によるもの。石碑のお礼に渋沢栄一は拝殿を寄進造営しています。
神社の祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)。10月のお祭りでは渋沢栄一も若いころ舞った、栄一お気に入りの獅子舞が今も上演されています。
渋沢栄一ゆかりの神社②【鹿島神社】深谷市下手計
もう一つの渋沢栄一ゆかりの神社が下手計の「鹿島神社」です。渋沢栄一は子供のころ、従兄の尾高惇忠に学問を学んでいますが、尾高家は下手計村にありました。
境内には渋沢栄一たちによって建立された、尾高惇忠の業績をたたえる「藍香尾高翁頌徳碑」があります。こちらの篆額は徳川慶喜によるものです。
神社の祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)。境内には神木から沸いた神水を使った共同浴場があり、渋沢栄一の母・えいはこの水を汲んで病気の人の背中を流していました。
栄一がのちに慈善事業に貢献したのも、この母の姿があったからでしょう。
渋沢栄一の為に建築された【誠之堂】【清風亭】深谷市起会
深谷市には渋沢栄一ゆかりの建物が移築されて残されています。
「誠之堂」と「清風亭」はもとは東京都世田谷区の第一銀行(現みずほ銀行)の保養・スポーツ施設「清和園」内に建設され、クラブハウスとして利用されました。
その後、聖マリア学園のものになり、学園の拡充計画をきっかけに取り壊されそうになったところ、深谷市が譲り受けて1999年に大寄公民館の敷地内に移築しました。
誠之堂は1916年、渋沢栄一の喜寿のお祝いで第一銀行関係者有志の寄付金により建てられました。建築家の田辺淳吉の代表作と言われています。
名前は四書五経の「中庸」にちなみ渋沢栄一自身が命名しました。重要文化財に指定された建物は煉瓦造りの平屋建てで、テーマは「イギリスの農家風」。
建物の内外に中国や朝鮮、日本などの意匠を取り入れられています。中国風のベランダやステンドグラスは一見の価値ありです。
清風亭は1926年、渋沢栄一の後を継いで第一銀行第2代頭取に就任した佐々木勇之助の古希を記念し、「銀行建築の名手」と呼ばれた西村好時によって建てられた鉄筋コンクリート造の建物です。
スパニッシュ風のおしゃれな建物は散策するだけで気分が盛り上がりますよ。
渋沢栄一が設立に携わった【日本煉瓦製造株式会社】深谷市上敷免
深谷は「レンガの街」としても有名です。そのきっかけとなったのが、渋沢栄一が明治政府の意向を受け、1887年に上敷免に設立した「日本煉瓦製造株式会社」。
東京駅や赤坂離宮、東京大学などにレンガを提供しました。
レンガ工場はレンガ需要の減少や安い海外産レンガの市場拡大などにより2006年に閉鎖していますが、その一部は重要文化財として保存されています。
現在は「旧煉瓦製造施設」が見学可能。全国で4基しか残っていない貴重な「ホフマン輪窯」がありますが、残念ながら現在は保存修理中で、2024年をめどに公開される予定です。
渋沢栄一が愛した【煮ぼうとう】幅広めんと深谷ねぎ
深谷では、いろいろなお店で渋沢栄一も愛したと言われている郷土料理「煮ぼうとう」を食べることができます。
幅約2.5cmの幅広の麺と深谷ねぎ、地元産の野菜をたっぷり使ったしょうゆ味の煮ぼうとうは長年深谷で愛されてきました。
11月11日の渋沢栄一の命日には煮ぼうとうを食べて栄一を偲ぶ会が各地で開かれています。
渋沢栄一とふっかちゃんのプリントせんべいが【harunire cafe(ハルニレ カフェ)】
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渋沢栄一にちなんだ食事でおすすめなのが、深谷駅から渋沢栄一記念館に行く途中にある、東大沼の「harunire cafe(ハルニレ カフェ)」。
山一造園が運営するお庭が美しいカフェですが、ここには渋沢栄一とふっかちゃんがプリントされたかわいらしいおせんべいが乗った「煮ぼうとう」が食べられるんです!
さらに、渋沢栄一の焼印入りの「栄一さんど」も販売中。パンケーキのサンドでハニーナッツと塩キャラメルの2種類から選べますよ。こちらはテイクアウトも可能です。
深谷で「渋沢栄一」を楽しもう
渋沢栄一の出身地、深谷には栄一ゆかりの地やグルメなどがたくさんあります。深谷をのんびり散策しながら、渋沢栄一を偲んでみてはいかがでしょうか?
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旅行メディアから出産を機に独立した、埼玉県在住のフリーライターです。得意分野は旅行と歴史と食事。最近、公園やテーマパークを中心とした県内の幼児連れのお出かけ先には詳しくなりました。埼玉県の魅力を皆様に伝えられるよう、頑張ります!